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 ◇日々法語(2)

日々法語(51-100)

凡夫というは無明煩悩われらが身にみちみちて

十方無量の諸仏は百重千重囲繞して喜びまもりたもう

三世の重障皆ながら必ず転じて軽微なり

念仏は懺悔ともなり感謝ともなり忍従の力ともなる

念仏念仏言うけれど念仏なかなか申せぬと

懶惰ということは「ねばならん」ということがないこと

本願・浄土・・と言っても念仏において感知される他道なし

乱れる心静め濁れる心を浄めるものは礼拝念仏のみ

名号称ずるに時処諸縁も障りなし

南無観世音我に負ける力あたえ給え(金子先生のお言葉)

冥衆護持の益   転悪成善の益

いついかなることも念仏が出発点(我が自戒の思い)

心は浄土に遊ぶなり

み仏我を念じます その念仏を我賜りてナムアミダブツ

称名はいさみの念仏なり(御一代聞書51)

ご縁ご縁、雑事処理もナムアミダブツに遇うご縁(愚作)

念仏は疲れた私に大悲無倦常照の身を知らせ下さる

この世界は一切衆生の業の音声をもって体となす

大安慰を帰命せよ

清浄勲を礼すところに清風宝樹をふく音色実感す(私訳)

有漏の穢身はかわらねど心は浄土に遊ぶなり

冥衆護持とは目に見えない神々・祖先の魂の護りである

かげとかたちとのごとくにて夜昼常にまもるなり

自分が(念仏の)保菌者であればいやがおうでも伝染する

できるだけのことはする。せよと言われなくてもする。

念仏者はどんなことも自分の責任として解消する=自在

慈光はるかにかむらしめ   大安慰を帰命せよ

一切智の一切とは知るべきこと一切ということである。

自然科学というものも仏教精神をもって見開いていくべき

ねんぶつナムナムしんじんのあじもらう(詩抄p142)

念仏とはすべてを善意に受け止める働きをする

宗教感情は本願を信じ念仏申してかたじけなさを感じること

(清浄)貪り浄め・(歓喜)いかり和め・(智恵)愚かをやぶる

睡眠し懶惰なれど二十九有に至らず

宗教感情は殿堂ににおける儀礼によりて養われる

つねに念仏せしむれば 諸障自然にのぞこりぬ(道綽讃)

念仏申すそのことは諸仏菩薩のご招待

常に念仏せしむれば 諸障自然にのぞこりぬ(道綽讃)

専精に心をかけて念仏せしむれば(道綽讃)

見直しの徳を与えるのが念仏である(問答5 p15)

有漏の穢身はかわらねど心は浄土に遊ぶなり

丁度のときに丁度のことがおこる不思議さよ(詩抄164)

ご縁ご縁困ったことも皆ご縁ナムアミダブツに遇うご縁

乱れる心静め濁れる心を浄めるものは礼拝念仏のみ

念仏申せ。念仏申せば 限りなく力が与えられる

如来のご苦労ナムアミダブツ

念仏者はどんなことも自分の責任として解消する=自在

南無観世音我に負ける力あたえ給え(金子先生のお言葉)

冥衆護持の益   諸仏護念の益

み仏我を念じます。ナムアミダブツと念じます。そのみ念仏をわれたまわりてナムア

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