真宗大谷派 樹徳寺|富山県黒部市宇奈月温泉|浄土真宗|

 

念 仏

 

はじめに

はじめに
 

本願を信じ念仏申さば、仏になる」(註 仏になる=慈悲と智慧をたまわる)これが親鸞聖人のみ教えの基本と信じています。
 しかも本願といい、浄土といい、光明といい、信心と言っても念仏(南無阿弥陀仏を申すこと)において感知されるほか道はないと信じています。
 このサイトではそのような念仏についていろいろ話題にしていきたいと存じます。

 

木村無相さんのこと

木村無相さんのこと
 
 2011年1月5日了慶寺ご住職 藤枝様から無相さんと私との出会いについての問い合わせメールいただきました。翌6日早朝それにご返事しました。ここにその文面を手直しして私にとっての木村無相さんを紹介致します。


メール とても嬉しく拝見しています。
「無相さんとどのようにお遇いになったのですか。」とのことですが、語れば長く煩雑になりそうですので自己紹介を兼ねて編年的に書いてみます。
 
 昭和41年(1966年)3月 
前住職二上大悟(私の父)還浄 名古屋大学理学部物理学科3年21歳であった私は諸事情を考え次男ながら、あと1年間だけ大学で学び卒業後 「樹徳寺」に入ること決意
 
 昭和41年(1966年)7月
 物理・名大交響楽団でフルートしつつも寺に入ってからのことを考え 名古屋 瑞忍寺仏教青年会に不思議な縁で出入りするようになる
 
 昭和41年(1966年)秋?
 瑞忍寺住職柴田 悟師から「京都から木村無相というすばらしい方が来られる。あなたに是非あってほしいので同朋会・青年会の集いに来て下さい」と誘われる。
 (瑞忍寺で無相さんのお話し聞く)
 「すごい遍歴の方だなあ、口元からよく念仏出る人だな」との印象のみ。名刺交換。「なんで今さら寺に入るの」と無相さんから質問受け「寺に入って自分自身がまず仏教を勉強するため。」というような答えに何か無相さんが納得して下さったように感じる。
 
 昭和42年(1967年)4
 大学卒業後樹徳寺に入り、当時は寺役暇なので学習塾と旅館のパートタイムの経理事務しつつ大谷派教師検定試験を受けるべく時々細々と真宗学・仏教学を独学
 
 昭和43年(1968年)1月 
真宗学勉強しつつも、様々な出来事で心の浮き沈み激しく落ち着かず心苦しくなったときナムアミダブツと称えると心落ち着くこと体験。同時に無相さん思い出す
 
 昭和43年(1968年)2月初旬  
教師検定試験受験に本山へ 早速 (当時勤務の)東本願寺同朋会館門衛所へ行き無相さんに会う。
「教師検定試験に来ました。勉強していたら念仏申すことが何より肝心と思いました。それと同時に無相さんに会いたくなりました。」と言うと大いに喜んで下さる。
「名古屋で会ったときの君の名刺チャンと持っていて君のこと思っていたよ。これから文通しよう」とのこと。二日間の試験後飲み屋で大いに飲みお話し聞く。(これが無相さんと飲んだ最初。 その後、何度もおいしく楽しく飲み交わす )
試験は6教科一発で合格 その後文通。              

 
昭和43年(1968年)5月初旬
いろいろなことで寺にいることが苦しくなり当時はやりの蒸発。たまたま出会った某新興宗教の仲間と広島・旭川・札幌で生活。 それも苦しくなり10月寺に帰る。(このときも念仏だけはいつも心を離れず時折そっと念仏申していた)
 
 昭和44年(1970年)3月以降
  昨年教師検定合格の有効期限内ということで2週間の教師修練に行く。修練前日(文通も途絶えていた)無相さんを突然訪問。驚く様子もなく自然に迎え入れてくださる。
2週間の教師修練で寺院に入ろうという方向性が定まったように感じる。(6月ようやく住職に就任)
 
その後無相さんとの文通も再開、2年ほど時々無相さんのお部屋に泊めていただき歎異抄や真宗学のマンツーマン講義を受けたり拙寺に数度来ていただいたり親密におつきあいする。(昭和44年12月結婚 新婚旅行初日は京都。無相さんに坊守を改めて紹介)
 
結婚・家庭生活が深まるにつれ文通の回数も少なくなり、時折思い出してはお便りしたり、それに応じて無相さんからも近況を知らせるお便りや念仏礼賛のお言葉いただいたりするだけとなる。
 
晩年身を寄せられた太子苑へは2,3度行く。
 
1982年(昭和57年 )9月10日
武生駅近くの林病院にお見舞いに行ったのが、お顔を見てお話した最後となる。(その1年3ヶ月後 昭和59年1月6日に還浄)
  
以上 概略です。書きながら当時を思いだし涙しています。
 
今日が無相さんの祥月命日と言うのも不思議です。ナムアミダブツ ナムアミダブツ
 
 

歎異抄に出てくる「念仏」

歎異抄に出てくる「念仏」
 



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念仏」のでてくる箇所        歎異抄親鸞語録部分(第1章〜9章)

弥陀の誓願不思議にたすけまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏申さんと思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたもうなり。
  しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。
2 しかるに、念仏よりほかに往生のみちをも存知し、法文(ほうもん)等をも知りたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。
  親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
  念仏はまことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり。
  たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。
  そのゆえは、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏を申して地獄にも落ちてそうらばはこそ、すかされたてまつりてという後悔もそうらわめ、いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
  このうえは念仏をとりて信じたてまつらんともまたすてんとも、めんめんの御はからいなりと云々
4 また浄土の慈悲というは念仏して、いそぎ仏となりて、大慈大悲心をもて、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。
  しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと、云々
5 親鸞は、父母の孝養のためにとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。
  わがちからにてはげむ善にてそうらはばこそ、念仏を廻向して父母をもたすけさうらはめ。
6 専修念仏(せんじゅねんぶつ)のともがらの、わが弟子、ひとの弟子という相論のさうろうらんこと、もってのほかの子細なり。
  そのゆえは、わがはからいにて、ひとに念仏をもうさせそうらばこそ、弟子にてもそうらはめ、ひとへに弥陀の御もよおしにあずかって念仏もうしさふろうひとを、わが弟子と申すこときわめたる荒涼のことなり。
  つくべき縁あればともない、はなるべき縁あればはなるることあるをも、師にそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりとなんどということ、不可説なり。
7 念仏者は無礙(むげ)の一道なり。
8 念仏は行者のために非行(ひぎょう)・非善なり。
9 念仏申しそうらへども、踊躍歓喜のこころ、おろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたき心のそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろやらんと、申しいれてそうらいしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円坊おなじこころにてありけり。

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